sayonarayouth

twitter @aokaji_soda

或る青年の話。

 全てから逃げ出したくなる時がある。

 何もかもから関係を絶って、己だけの世界へ潜り込んでいきたい時がある。

 愛や、憎や、喜や怒や哀や楽から、憧憬からも、後悔からも、希望からも、理想からも、遠ざかってしまいたいと思う時がある。

 世界の果てで、果ててしまいたいと思う時がある。

 ここから一歩も通さない。理屈も法律も通さない。誰の声も届かない。友達も恋人も入れない。


 だから僕は、関東平野の最東端にある小さな岬へ、ひたすらに車を走らせた。

 片道で四時間近く。なんなら車で実家に帰ることもできるような長さ。

 でも僕は育った街とは反対の方角へ、向かう。好きな音楽をかけて。返信はしない。

 正午に出発し、到着した頃には日暮れの真っ只中。

 天気は生憎の曇り、けれどそれ故に、そこは静かで、遥かな果てとして映る。濃い、深い青色の中で、ぽつりぽつりと浮かぶ浜辺沿いの灯り、灯台の光。

 

 ここで死んでもいいなと、思えた。

 ここで、僕の物語が終わったら、結構良い感じかもなって、思えた。

 幕引き、果ての渚、世界の終わり。

 

 天国じゃあ、みんなが海の話をするんだぜって、きっと僕は、天国に逝けやしないだろうけど。

 

 彼と会えなくなってから、気づいたら一年が経っていた。

 この世界からいなくなってしまったことが、未だに信じられない。

 

「俺、Over SoulよりNorthern Lightsの方が好きなんすよね」なんて、だけど今は、「蘇れ」って、口ずさみたくもなるよ。

 だって、そうでしょう?

 

 くたばりたくなって、ぼけっと海を眺めて、一時間もしたら、家に向かって走り出して、「今日は映画みたいだったなぁ」なんて、明日の労働のことを考えながら、僕を想う人たちのことを想いながら、夢、理想、願いの為に努力する友人や、もう会わない誰かや、もう会えないあなたのことを想いながら、いい加減サイドミラーに曇り止め塗らないと雨の日困るよなぁとか、そうして緩やかに緩やかに、日常に戻って。

 

 17の死と、29の死と、24の生と、

 許せないことを笑いながら、

 許せないことに嗤われながら、

 どうしようもなく、生きていくんだろう。

 

 映画みたいな非日常に入水しにいくことがあっても、いいでしょう。

 溺死。

 太宰が妻と死ななかった理由を、僕は少しだけ、解るような気がする。

 こんなことを言ったら、きっと陶酔だって嘲笑われるだろうけど。

 だって、夫婦生活は日常で、生だから。

 其処に死は似つかわしくなくて、其処から逃げ出したいと思ってしまったから。

 違うかなぁ? まぁ、違うんだろうけど。

 

 帰ってきて、『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』を見返したくなって、配信サイトにはどこにもなくて、それじゃあ『天国の口、終わりの楽園。』を探したけれどそれもなくって、近所のTSUTAYAは全滅、それじゃあそれじゃあと『ベイビー・ドライバー』を観たら、どうしようもなく傑作だったよ。どう転がるか分からない展開、退屈な瞬間は一瞬もない。カーチェイス、ボーイ・ミーツ・ガール、エスケイプ、フロム、シガラミ。僕と、あなたで、どこまでも、車を走らせて、そうしたら、きっと何かが変わるかもしれないって。

 きっとあなたが生きていたら、こんな話だってしていたんだろうな。だってあなたは些細なことでも必ず拾ってくれたから。拾ってほしいことばかりだったよ、あなたがいなくなってからの日々では、本当にいろんなことがありました。新しいものがどんどん生み出されていきました。憧れるものが増えていきました。憎らしいものが大手を振るっていました。あなたと共有したいもの、楽しみたいもの、馬鹿にしたいもの、笑いたいもの。

 

「僕が今のあなたの歳になった時、この人生がどうだったかって話をしますから、とりあえずどうかそれまで、お互い生きましょうね」なんて、言った。5年も6年も年下の僕が生意気にも、そんなくだらない約束をして、だって、生きていてほしかったから。生きづらいと嘆くあなたがそれでも生きていることは、僕にとっての希望だったから。

 その約束はもう叶うことはないけれど。

 とりあえずまだ生きます。だって、ノッキンオンヘブンズドア、もう一回観たいし。