sayonarayouth

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「あの頃はよかった」に思うこと。

「思春期」や「青春」といった単語についての言及が多く、また、まさに『あの頃、君を追いかけた』なんて映画が人生ベスト級だと評しているくらいなので誤解されがちだが、僕は「あの頃はよかった」ということばが苦手だ。時に嫌悪すら抱いてしまう。なんて唐突。今回はそんなお話。物事には流れがあるからね。

 いきなり余談だけれども、一時関わった時の印象のまま、いつまでも僕自身について勝手なことを言う人間が昔から周りにぽつぽついて、僕はそういう人が本当に苦手だった。短期間で思想や思考が次々更新されていくタイプの人間なので、「あなたが言及してる僕は今の僕じゃないですよ」と内心思うことが多々ある。

 

     ◇

 

「あの頃」という言葉は大枠で二種類に区分できると思う。人生における個人的な過去――対象になりやすいのはまさに思春期や学生時代だろう。もうひとつは、特定の時代の区間。もちろんそれも個人の経験だけれども、前者より共時性が強く、共通の話題を語る際に使われることが多いように思われる。(雑だけど、批評でもなんでもないしいいでしょう?)

 

「あの頃はよかった」ということばには、「今は前よりよくない」が含まれている、ように思う。そして僕はそこに、どうしても惰性や怠慢、視野狭窄を見てしまう。

 ここのところ、80年代カルチャーが讃えられている場面を見ることが増えた(本当はそんなこと、80年代が終わった瞬間からずっと続いているものなのかもしれないけれど)。具体的な作品名なんか挙げてしまうと、意図せずにそれを貶していると受け取られかねないのでほとんどを伏せるけれど、例えば最近リメイクされた某漫画原作アニメなんかも、その大元の偉大さや後世に与えた影響の部分が宣伝に用いられていた。けれど、その原典に当たった僕が抱いた感想は「当時はすごかったんだろうけど、今見ると普通だな」だった。それって、当然だと思う。カルチャーなんてどんどん洗練されていくし、描写も展開も多くの過去作を参照し、取り込んで、よりよいものができていく。自身の嗜好と密接な部分での評価にどうしてもなってしまうことはちゃんと自覚しているつもりだけれど、「時代的価値がある」とされている〝名作〟を、今この時代に、後世に生まれた自分が臨む際の態度とか、抱いた感想についてとか、置き処、落し処がないなぁと思うことが多々ある(そしてそれ故に、それを貫いて、普遍的な面白さを持っているものって強い)。

 大御所声優を集めてランキングが進む、定期的な「昭和のアニメ」賛美。最新ビッグバジェット映画の音楽に敢えて古い時代の音楽を用いる。〝あの名作〟の続編、リメイク、続編、リメイク。ゲームハードの復刻筐体に、こぞって幼少期の思い出を語る。インターネットには「今のゲームはグラフィックばっかりで」云々「今のゲーム難易度はヌルい」云々。

 それってつまり、「あの頃はよかった」なのでは?

 結局若い頃、思春期の頃、青春時代にのめり込んだものが楽しい思い出となっているだけなのでは? 今の技術にもうついてこれないだけなのでは? 時代の感性と合わないだけなのでは? だったらそう言えばよくない? 「僕が楽しんだのは思春期の頃のゲームで、僕の人生ではそれらが一番だ」って。どうして触れてもいないものを上っ面だけで否定するの?
 ……みたいな言説は、常に自分にも跳ね返ってくる。
「〝異世界転生〟を君は三文パルプのように言うけれど、じゃあ果たして該当カテゴリのものを一作でも読破したの?」
「四つ打ちロックを中身がないって馬鹿にするけれど、下の世代にとってアジカンはもう最先端じゃないよ?」
「君は老害を嫌悪するけれど、刷新されない君の価値観はいずれ同じ老害になってしまわない?」

「漫画も音楽も、昔好きだったものの話しかできないのは、学生終わって時間がないから? それって理由になる?」

     ◇

 映画が好きな大学時代の同期が、車で時間をかけて往復するTSUTAYAで借りたDVDの返却期限が今日で、延滞料取られるの嫌だ、とぼやいていた。そこそこレンタルをして見ると言っていたから、「プライムビデオなりHuluなり登録したら?」と薦めてみたところ、返ってきた言葉は否定的なものだった。
「いやだって、TSUTAYAより品揃えなさそうだし」
 吃驚してしまった。同い歳だよ、僕ら。デジタルネイティブだよ、僕ら。

「あなたが通うTSUTAYA一店舗よりは確実にラインナップがあるし、最寄り店にもネットにも無い時には無い」と、僕はこう返した。僕も未だ、『大アマゾンの半魚人』を見ることができていない。延滞の心配やら往復の手間やら、そんなものネット環境があれば全て解決じゃないか。

同世代ですら、世の中について更新の遅れる者がいる。僕はついていけるだろうか。変わりゆく時代のスピードに――――

 

 …………。


     ◇

 自分が愛した「時代のカルチャー」というものは、漠然とでも、確かに区分けができるようなものであると感じる。自分自身、90年代~00年代初頭の邦楽ロック通称「ロキノン系」なんて、まさにドンピシャで体感し、後追いし、最も心地のよいものだからだ。ローリング・ストーンズの音楽はタルいし、カナブーンもキートークもいまいち面白くない、そんな世代が僕だ。

 そして当然、影響を受けたものに愛を捧げることは気持ちがいい。心が震える。アジカンナンバーガールスーパーカー、ミッシェルガンエレファント……。

 原作小説も映画も好きな「レディプレイヤーワン」は、言うなればスティーブ・ジョブスが80年代カルチャーをめちゃくちゃ愛しているから、2045年になっても地球上の皆が80年代カルチャーにハマっているみたいな舞台設定だ。

 でも、そんなの、本当にディストピアだよなって思う。

 当然、現在一線で活躍する原作者アーネスト・クラインが、「あの頃はよかった」だけであの物語を書いた人間だなんてこれっぽっちも想定しちゃいない。けれど、少なくとも物語内で描かれるカルチャーの様相は、間違いなく窮屈で、味気ないものだと感じる。だから僕は思う。ノスタルジーなんて、大声あげて共有するようなものじゃない。

 時に僕は友人が言う「高校の時は楽しかったね」にすら、嘔吐感のようなものを抱くことがある。恥ずかしいのだ。そんな言葉を実際に聞いてしまうことが。相手がそこまでの意図を必ずしも込めている訳じゃなくて、それって結局自分自身の写し鏡ってだけなんだけれど。

 確かに同じ時間を共有し、事実とても楽しかった。未来へは希望しかなく、今という瞬間だけを生きることのできた高校時代も、ゆるやかな時間を浪費する素晴らしさのあった大学時代も、いいことはたくさんあった。今はただただ困難と不安と不満と反抗と、細々続く縁と緩い幸福と、それしかない。それしかなくても、それでも僕は、「あの頃はよかった」とは言わないし、「あの頃に戻りたい」なんて思わない。

 過去と現在を比較することが、気持ち悪い。

 でもこれは、二十代になる前の僕なら絶対に言えなかった。だからやっぱり、価値観も思想も変わってゆくんだよね。

 

 ……今回の文章、結構取っ散らかってるなぁ。「あの頃」というキーワードで思うことをひたすら吐き出したみたいになっている。なんかこう、常日頃思うんですよ。「人生やり直し系」の物語とかが人気になってたりするの、なんだかむず痒かったりして。「あの頃をもう一度」という感情を持ったまま、その「あの頃」に戻ったとして、僕はきっともう冷めすぎていて、「あの頃」と同じようには日々を過ごせないんじゃないかって、思うんだよね。例えば恋愛ひとつ取っても、現時点での記憶を保持したまま十代に戻ったとして、瑞々しい恋愛ができるだろうか。だって、俯瞰してる自分がいるじゃん、そんなの、つまんないよ。ううん? なんだかよく分からなくなってきたぞ。今流行ってるものを腐したくなることは誰しもあると思うけれど(え、無い?)、その際に過去の何かを持ってくるのはやっぱり間違いだよね。

 出版社運営のweb小説サイトにて、過去の某ライトノベル(僕自身も、確かに傑作だと思う)が公開されることになった際、その作品へのレビューコメントが結構気持ち悪くて引いてしまった覚えがある。現在を腐し、過去には素晴らしいものがあったと殊更に称揚するのって、痛い、よね。

 

 嗚呼、いつか僕も、下の世代が忌避するような年寄りになるのだろうか。「あのオッサンまたアジカンとかいうの歌ってるw平成のセンスだよなw」と影で囁かれ、耳の遠くなった僕は満足げな顔でアジカンがいかに凄かったのか語っちゃうのかな。「今の若い子達は知らないかぁ~w」じゃあねぇっつの。あー、死にて。