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友人の結婚式に出席することになった。

 友人の結婚式に出席することになった。二十数年の人生において、初めての参列である。

 二歳年上のその友人とは、実は出会ってまだ半年も経っていない。それでも僕は彼のことを友達だと思っているし、彼の方だって、僕を結婚式に呼んでくれるくらいなのだから少なからず、知り合い以上だと思ってくれているのだろう(一応、新婦側とも知り合いだったという要因もある)。

 意外にも、初めての結婚式が学生時代の同級生ではないということに驚きはない。それは一重に、例えば自分が結婚するとして、その招待候補に挙がるのは学校という場の外で出会った人たちばかりだからだ。共に暮らしている友人、西の都でアニメをつくっている友人、実は同郷だった友人、映画が好きな友人夫妻。高校の友人で参列してほしい人なんて実のところ、たった一人しかいなかったりする。社交性はそれなりにある方だと思っているし、友達の数も少なすぎるわけじゃないけれど、「結婚式に呼べるか呼べないか」を基準のひとつとした時、その数はきっと、両手で数えたら余りが出る程だ。

 高校の同級生を除いて、先に挙げた友人たちは皆「学校」という場の外で知り合った人たちだ。主にそれは趣味を通じてだけれど、学校のようなコミュニケーションを介さないで知り合った友人たちとは、時間の長さじゃない密度で繋がっているように思う。嗚呼、これは紛れもなく僕の愛の話なのだけれど、どうかご容赦頂きたい。

 友人とは共にいた時間ではないのだな、と大学生の終わり頃から思うようになった。「打算がない学生時代の友人は一生ものだ」というような言葉を聞くことがままあるが、僕にとって大切な人たちは、学外で出会った人ばかりだ。だってその人たちは今、僕が自ら選択して関わりを持っている人たちだからだ。学校で毎日顔を合わせるわけじゃない。愛想を駆使する必要もない。断ち切ろうとすれば簡単にそうできてしまう関係が増えていく人生の段階において、関係を続けたいと(互いが)思えるのならば、それはひとつ、強度を持ったものだと言えるだろう。そう言っても、いいでしょう?

 反対に、学生時代に同じ空間にいなかったら今親しい間柄ではなかったかもしれないと思うのが、先に挙げた高校の同級生だ。彼とは趣味の話なんてほとんどすることはないけれど、きっとこれからも、不動の地位に居続ける縁なのだろうなと、(愛しく)思う。学校という空間が面白いのは、そういう関係性が生まれるからで、確かにそれは打算ではない。でもそれら関係性のほとんどは、歳を重ねてから再会しても「昔の思い出話」しか共通点がないという点で、次第にフェードアウトしてしまうものだよなと思う。悲しくもあるけれど、たまたま重なり合った一瞬があったというその偶然は、想いを馳せる価値のあるものだと思っている。きっともう会うこともないような顔をふと思い出して、過ぎ去った日々を少しだけ懐かしんだりしても、そんな彼ら彼女らとの記憶に、心が揺れたりすることはもうない。

 

     ◇

 

 気づけば「結婚」なんて言葉を自らの身で(すなわちフィクション以外で)、質感を持って耳にしたり、口にしたりするようになり始めた。きっとすぐに二十代は後半だし、そのまま三十代になってしまうのだろう。十代のあれこれの清算をようやく終えたと思ったら、やってきたのは未来への負債と、今を生き延びなければならないための労働だった。精神は未だ17歳で、学園祭の体育館に取り残されたままなのに。


     ◇


 もう一生会うことのできない友人のことを、いつだって想っている。

 叶うなら彼にだって、僕は結婚式の招待状を送っていたことだろう。

 三十代になることなく終わった彼のことを、時々、本当に時々、羨ましく思ったりすることもある。生きることは、あまりにも難しすぎて、気が滅入る。

 ずっと続くと思っていた。こんな風に取り留めなく綴る日記を読んでもらおうとしたり、つまらない映画を一緒になって小馬鹿にしたり、生きるのって面倒臭ぇよなって笑ったり、そんな日々をなんとなく生きていくのだと思っていた。

 僕は今、彼のいない都会で暮らしている。僕を想ういろんな涙を置いて、出てきてしまった。自由なんて、本当はそんなにあるわけじゃないのに。「全部捨てたい」と、「全部欲しい」と一緒に、日々を繋いでいる。

 今の僕を、僕の日々を繋ぐのは、僕が「繋いでいたい」と思う人たちの存在ただそれだけだ。その人たちには消えてほしくないし、その人たちと笑っていたいから、僕も消えないでいる。もらってばかりの日々に、いつか恩返しできるようにと思いながら、明日もまた迷って往くのだろう。

 

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。(太宰治『葉』)

 

 この一節が好きだ。いつだってこの言葉と共に、生きている。